千葉地方裁判所松戸支部 平成6年(ワ)200号 判決 1998年4月28日
主文
一 原告村杉の甲事件請求を棄却する。
二 原告村杉は、原告会社に対し、金一九万五七四八円及びこれに対する平成九年一〇月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告会社のその余の乙事件請求を棄却する。
四 訴訟費用は、甲事件に関して生じた分は原告村杉の負担とし、乙事件に関して生じた分は原告会社の負担とする。
五 この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
(甲事件)
一 請求の趣旨
1 被告中川は、原告村杉に対し、金五四五万〇八四〇円及びこれに対する平成三年一二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告中川の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告村杉の甲事件請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告村杉の負担とする。
(乙事件)
一 請求の趣旨
1 原告村杉は、原告会社に対し、金八三五万二七五四円及びこれに対する平成九年一〇月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は原告村杉の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告会社の乙事件請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告会社の負担とする。
第二事案の概要
甲事件は、原告村杉が、被告中川に対し、交通事故に基づく損害賠償として治療費・休業損害・慰謝料・弁護士費用の支払を求めたものであり、乙事件は、原告会社が、原告村杉に対し、原告村杉が交通事故による受傷がないのに受傷したと主張して、被告中川と対人自動車保険契約を締結していた原告会社をして、治療費・休業損害・入院雑費を支払わせたとして、不当利得金返還請求をした事案である。
(争いのない事実等)
一 原告村杉は、次の交通事故(以下「本件事故」という。)にあった。
1 発生日時 平成三年一二月一六日午後一一時ころ
2 発生場所 JR南柏駅前大久保駐車場内
3 当事者 加害者 被告中川
被害者 原告村杉
4 態様 被告中川が、その所有の普通乗用自動車を運転して右駐車場から後進にて移動中、後方確認を怠ったため、自車後部を同駐車場に駐車中の原告村杉乗車の普通乗用自動車の後部に衝突させ、衝突後そのまま進行しようとしたところ、原告村杉が直ちに降車して被告中川を呼び止めて降車させ、事故内容を確認した。本件事故発生についての過失は、一〇〇パーセント被告中川にある。
二 原告会社は、被告中川との間で、対人自動車保険契約(対人無制限、保険期間・平成三年一月二七日から平成四年一月二七日まで)を締結し、本件事故後、右保険契約に基づき、休業損害・治療費・入院雑費合計金八三五万二七五四円(乙九の一・二)を支払った。ところが、原告会社は、原告村杉に対し、平成五年一月八日、今後一切補償をしない旨の通知をした上、そのころ、原告村杉が通院治療中であった病院に対し、治療費の支払を停止する措置をとった。
第三争点
一 原告村杉の本件事故による受傷の有無
(原告村杉の主張)
原告村杉は、本件事故により頸部挫傷・頸椎捻挫・バレーリュー症候群の傷害を負い、一一四日間の入院・七〇三日間の通院(実施治療日数一三三日・平成三年一二月一七日から平成六年三月一七日までの間)を要した。
(被告中川の主張)
本件事故は、極めて軽微な衝突であって、原告村杉には受傷機転はなく、受傷は生じていない。仮に原告村杉が受傷したとしても、全治三週間を上回る受傷とは考えられない。原告村杉の長期間の入通院は、すべて同原告の老化に伴う退行変性によって誰でも帯有する若干の自覚症状と強度の賠償性並びに同原告の特殊な性格による病的な愁訴によるものであり、本件事故との間に因果関係がない。
二 原告村杉の損害
(原告村杉)
原告村杉が本件事故により被った損害は、既払金のほか、次のとおり、合計五四五万〇八四〇円である。
第四争点に対する判断
一 原告村杉の本件事故による受傷の有無
争いのない事実、証拠(甲一、二、三の一ないし二〇、四ないし一一、一六ないし二〇、乙一の一ないし三、二、三の一・二、四、五の一ないし一七、六の一ないし五、七の一ないし三三、八、九の一・二、一〇ないし一二、証人荒居茂夫、同川上和夫、原告、被告、各鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおり認められる。
1 本件事故は、平成三年一二月一六日午後一一時ころ、JR南柏駅前大久保駐車場内において、被告中川が、その所有の普通乗用自動車を運転して右駐車場から後進にて移動中、後方確認を怠ったため、自車後部を同駐車場に駐車中の原告村杉乗車の普通乗用自動車の後部に衝突させたことによって発生した。当時、原告村杉は、自車を暖気運転をしてラジオと車内の温度を調節しようとして少し前かがみになったときに本件事故が発生した。本件事故の衝撃により原告村杉乗車の普通乗用自動車は約一メートル前方に押し出され、原告村杉は、自車の背もたれに身体をぶつけ、その反動でのめってハンドルを掴んでハンドルに覆い被さるようになった。本件事故により原告村杉乗車の普通乗用自動車の後部バンパーが凹損した。
2 被告中川は、衝突後そのまま進行しようとしたため、原告村杉は、直ちに降車して被告中川を呼び止めて降車させ、事故内容を確認するとともに、被告中川に首の痛みを訴えた。原告は、平成三年一二月一七日以降病院で診療を受け、頸部挫傷・頸椎捻挫・バレーリュー症候群の病名により、一一四日間の入院・七〇三日間の通院(実治療日数一三三日・平成三年一二月一七日から平成六年三月一七日までの間)を要し、それ以降も通院を続けた。
(1) 原告村杉は、本件事故の翌日である平成三年一二月一七日、森永胃腸外科で受診し、嘔気・頭痛・頸部屈曲痛を訴え、外傷性頸椎症候群と診断され、レントゲン撮影と投薬を受け、同月一九日に再診を受けて治療を中止した。
(2) 原告村杉は、平成三年一二月二一日、緒方整形外科で受診し、頸部痛・頭痛・めまい・嘔気・流涙を訴え、全治三週間を要する外傷性頸椎症候群と診断され、数日おきに受診し、平成四年一月一三日治療を中止した。
(3) 原告村杉は、平成四年一月一三日から平成五年一〇月三一日までの間、名戸ケ谷病院に通院して診療を受けた。頸部・肩・胸部痛・耳鳴り・嘔気・眼精疲労の症状があり、第三、四頸椎間に僅かなずれが認められ、頸部挫傷・頸椎捻挫・バレーリュー症候群と診断された。当初は投薬、運動療法を受け、後に理学療法を受け、月一回ないし二回受診して、診察と貼付剤の投与を受けた。
(4) 原告村杉は、平成四年四月一五日、吉野整形外科で受診し、不眠等を訴え、レントゲン撮影の結果、第六、七頸椎間狭小、後方骨棘プラス、第五、六頸椎前方骨棘、第三、四頸椎間孔狭小の加齢的所見が認められ、同月二八日まで牽引等の治療を受けて中止した。
(5) 原告村杉は、平成四年七月二日、山梨県の石和温泉病院で受診し、同月三〇日、名戸ケ谷病院の紹介を受けて石和温泉病院に入院し、外傷性頸部症候群、不眠症、腎機能障害、肝機能障害、末梢神経障害と診断され、理学療法を中心に治療を受けたが、症状は一進一退であり、精神的な面もありセルシンの投与を受けるなどして、同年九月二四日に退院した。原告村杉は、入院中、外出・外泊をし、飲酒をした。
原告村杉は、平成四年九月二五日、長野県の鹿教湯病院で受診し、頸部捻挫後遺症・外傷性頸部症候群の診断を受け、同年一〇月七日、同病院に入院し、温熱療養(ホットパック)、マッサージなどの治療を受け、症状が軽快し、同年一一月一〇日退院し、同月一一日から一四日まで通院した。
3 軽微な追突事故の場合、被害車両の乗員に与える衝撃の程度は軽少であるので、被害車両の乗員が前方を向いて座っていれば、通常は傷害は発生しないが、被害車両の乗員が首を右か左に精一杯向けていたようなときには、首はそれ以上曲がらないから、傷害が生ずる可能性がある(荒居鑑定)。
自動車事故では、事故の発生につき被害者が何ら予知できず事故が突如として起こった場合、被害者は事故直前に防御反応がない状態(ほとんどの筋肉が弛緩した状態)で事故にあっているから、軽微な事故でも傷害が発生し、重篤な傷害となることもある。自動車内で同じように座席に座っている場合でも、事故の際の身体の姿勢、例えば何かを拾おうとして足元に上半身をかがめていたとき、あるいは、後部斜めに上半身を捻ってかたむけていたときと、普通に座席に腰掛けて前方を向いて座っていたときでは、同じ加速度が身体に加わったとしても、身体的傷害の範囲・程度は異なってくる。
自動車事故の追突事故によって生じる頸椎捻挫は、頭部だけは一瞬、事故直前の位置に置かれるが、車体と頭部を除く身体が座席とともに加速されるから、頭部・頸部は瞬間的に過伸展され後屈し、次の瞬間、重い頭部は、慣性のため身体の動きにやや遅れて振り子状に前方に屈曲して、ひどい場合には下顎部が前胸部にぶつかり頸部に捻挫が生じる(川上鑑定)。
本件事故は、原告村杉が、自車を暖気運転をしてラジオと車内の温度を調節しようとして少し前かがみになったときに発生した。本件事故の衝撃により原告村杉乗用車の普通乗用自動車は約一メートル前方に押し出され、原告村杉は、自車の背もたれに身体をぶつけ、その反動でのめってハンドルを掴んでハンドルに覆い被さるようになった。このような場合に、原告村杉に頸椎捻挫、バレーリュー症候群(自動車の衝突事故によって生じる交感神経刺激症状・自律神経失調症状〔頭重・頭痛・めまい・耳鳴り・嘔気・眼精疲労・流涙・咽頭部や喉頭部の違和感など〕)が生じても不自然ではない。
4 鑑定人川上和夫が、平成九年七月、原告村杉を総合病院に入院させて整形外科的検査をした結果、原告村杉につき、頸椎の中間位、後屈位で第三、四頸椎間に不安定性(ずれ)を認め、第四頸椎以下が第三頸椎に対し、やや前方にすべっていたが、前屈位では消失していた。また、第三、四頸椎椎間孔の狭小化、第五、六頸椎間及び第六、七頸椎間狭小、第六、七頸椎前方に変形、頸椎後縦靭帯に骨化、軽度の頸部脊椎管狭窄及び頸髄圧迫及び軽度の頸髄神経根の圧排を認めた。鑑定時の右各異常所見は、いずれも退行性変化であり、外傷によるものとは認められない。本件事故により原告村杉に頸椎捻挫、バレーリュー症候群が生じたが、鑑定時に原告村杉が訴えていた背部、頸部より左肩、左上肢にかけての症状は、退行性変化により生じているもので、本件事故に基づく外傷により継続しているものとは認められない。
原告村杉の第三、四頸椎間の不安定性(ずれ)は、本件事故後の経過及び同原告の病歴からみて、しびれ感が多少あったとしても頸髄損傷の症状が全くみられないことから、本件事故の当時既に存在していた退行性変化であると認められる。一般に頸椎、頸椎椎間板、あるいは頸髄周囲に退行性変化がみられる患者では、軽微な外傷によっても症状が強くみられることが稀ではない。原告村杉には頸椎に右のような退行性変化があったので、普通の人より自律神経失調症状が多く出て、治療期間が長引いたものと認められる。
原告村杉の場合、経過、治療期間の長期化及び病歴からみると、本件事故後に退行性変化による症状も加わったが、鹿教湯病院に入院加療した時期ころから、症状がかなり軽快し、退院後は症状が一進一退であることから、この時期を境にして外傷性によるものから退行性変化による頸椎椎間板症、脊椎管狭窄症の症状に移行したものと認められる。原告村杉につき、本件事故に基づく外傷による症状が固定した時期は、鹿教湯病院退院後、約一か月が経過した平成四年一二月末ころ、遅くとも平成五年一月中旬と認められる。
5 バレーリュー症候群の症状は、心因性の強い人に多く発症するといわれている。人格、個体、個人の性格、ストレス及び家庭の問題など心因性的要因は、バレーリュー症候群の症状に強く影響する。原告村杉の場合も、事故の態様、職業上の問題、家族関係、事故後の被告中川・原告会社の対応などによる心因的要因が治療期間を長期化させた一因となっているものと認められる。
右認定の事実によれは、原告村杉は、本件事故によって受傷したこと、本件事故と相当因果関係にある原告村杉の受傷の範囲は、原告村杉の症状が外傷性によるものから退行性変化による症状に移行した平成四年一二月末ころ、遅くとも平成五年一月中旬までのものと認めるのが相当である。
ところで、身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害が加害行為のみによって通常発生する程度を超えるものであって、かつ、その損害の拡大について加害行為前から存在した被害者の疾患や心因的要因が寄与しているときは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、損害賠償額を定めるにあたり、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌することができる。
これを本件についてみると、原告村杉の受傷は、本件事故に基づくものであるが、本件事故後の症状の経過及び治療期間の長期化は、本件事故による受傷のほか、原告村杉の身体の退行性変化及び心因的要因とが競合して寄与したものであり、本件事故による原告村杉の受傷の部位・程度、症状の推移、治療期間その他諸般の事情を考慮すると、本件事故に起因して発生した原告村杉の損害の三割を減額して、七割を被告中川に負担させるのが相当である。
二 原告村杉の損害
前掲各証拠によれば、原告村杉が本件事故により平成五年一月一五日までに被った損害は、次のとおり認められる。
1 治療費 三二四万六〇二一円
2 休業損害 五五〇万円(口頭弁論終結日までの一部遅延損害金を含むものとして算定)
3 入院雑費 二〇万六八四五円
4 慰謝料 二七〇万円(口頭弁論終結日までの遅延損害金を含むものとして算定)
合計一一六五万二八六六円
前認定のとおり、本件事故に起因する原告村杉の損害に対する被告中川の負担割合は、七割であるから、原告村杉の損害の合計額一一六五万二八六六円の七割に当たる八一五万七〇〇六円が被告中川の負担すべき損害額である。
三 原告会社の原告村杉に対する不当利得金返還請求権の有無
前認定のとおり、本件事故に起因する原告村杉の損害として被告中川の負担すべき損害額は八一五万七〇〇六円であるところ、原告会社が、被告中川との間で締結した対人自動車保険契約に基づき、原告村杉に対して支払った休業損害・治療費・入院雑費合計八三五万二七五四円である。そうすると、差額の一九万五七四八円が過払いとなり、原告会社は、原告村杉に対し、右の金額の支払をする義務がなかったのに支払ったもので、原告村杉は、原告会社の損失において一九万五七四八円を不当利得したことになる。
第五結論
よって、原告村杉の甲事件請求を棄却し、原告会社の乙事件請求を右の限度で認容し、その余を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 小野剛)